胃のかたち
上田信治による俳句研究。
200510<<123456789101112131415161718192021222324252627282930>>200512
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
05/11/28
ハイクマシーン歳時記用の二句を、ユースケ君に送る。
季語Aは、動物園でしか見たことのない動物。
季語Bは、つかみどころのなさが売りと思われる時候。

歳時記に載るとなると(笑)、季語の本意ということを、意識せざるを得ない。
自分としては、季語A(動物)の本意は「サイズがつかめない」ことだと思うのだが、
どうか? それは、自分で決めることではないのか。

今日明日は、家業の〆切なので、俳句活動は、これくらいにして。
スポンサーサイト
立体写真としての俳句
視覚像がぱかっと、立ち上がるような句。

   食べてゐる牛の口より蓼の花  高野素十

思い切り、牛の口の運動が、見えてしまう。こういう句には、季感はいらない。作者の心情もいらない。脳に視覚イメジが立ち上がる快感自体が、目的であるような。

   空をゆく一とかたまりの花吹雪  高野素十

いわば「立体写真」としての俳句。二枚のちょっと視点のずれた写真を、自分をだましながら両目で見ると、そこにはない立体が、脳の中に立ち上がる。「おお、見える見える」とか言って、うれしくなる。あれと同じような。言葉が視覚イメジを喚起する、脳の仕組みで遊んでいるような俳句。

   長袋先の反りたるスキー容れ  山口誓子

もう美ですらない。
ただ、人間が持つ「言葉を分かるという能力」の発揮です。能力の発揮は、快感を生む。
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。