その1
トークイベントのようなもので、佐内正史が自分の写真について、珍しく、長く話しているのを聞いたことがある。
マンガ家のさそうあきらが「この写真は、どうしてこれを選んだんですか」と質問し、それに答えて「電柱のここに何か書いてあってー、ビルのここに丸いのがいっぱいあるのが、よかったんでー」というようなことを言っていた。
よい理由だ、と思った。
その2
2/20の天気さんの日記で思い出して、web草思の鬼海弘雄の連載を読み返していたら
あ、この写真、自分見てた! と驚いた。
http://web.soshisha.com/htm/polka/kikai7_1.html
ワゴン車が三台とまり猫柳 信治
というのを、何日か前に作って、我ながらなんじゃこれは、と思っていたのです。
この写真のこと、忘れてました。人間の記憶というものは、なにをしでかすやら。
だいたい「猫柳」…て、君。ここは「四葩咲く」でしょう(笑)
その3
ふつうにいい景色の写真、というのがあるでしょう。桜や、紅葉や、富士山や、田園を撮った、カレンダーになりそうな写真。ちょっと増感してあるような。
自分としては若者らしく、カレンダー写真のような俳句ではなくて、佐内正史の写真のような俳句がいいな、と思っていたわけですが。
よく考えると、カレンダー写真のような俳句も作るとなると、なかなか難しいですね。「まさをなる空よりしだれざくらかな 富安風生」みたいのができたら、そりゃ立派だな、と。「雪の上の大きな影は椿の樹 岸本尚毅」とか。
先日、「里」東京句会で、出会った句。
紅白の東京タワー風光る 宮崎二健
こんなカレンダーだったら、いい、と思いました。3月は、この写真で決定。
天気さんブログ
http://tenki00.exblog.jp/d2006-02-20
鬼海弘雄さん・連載
http://web.soshisha.com/archives/polka/index.php
トークイベントのようなもので、佐内正史が自分の写真について、珍しく、長く話しているのを聞いたことがある。
マンガ家のさそうあきらが「この写真は、どうしてこれを選んだんですか」と質問し、それに答えて「電柱のここに何か書いてあってー、ビルのここに丸いのがいっぱいあるのが、よかったんでー」というようなことを言っていた。
よい理由だ、と思った。
その2
2/20の天気さんの日記で思い出して、web草思の鬼海弘雄の連載を読み返していたら
あ、この写真、自分見てた! と驚いた。
http://web.soshisha.com/htm/polka/kikai7_1.html
ワゴン車が三台とまり猫柳 信治
というのを、何日か前に作って、我ながらなんじゃこれは、と思っていたのです。
この写真のこと、忘れてました。人間の記憶というものは、なにをしでかすやら。
だいたい「猫柳」…て、君。ここは「四葩咲く」でしょう(笑)
その3
ふつうにいい景色の写真、というのがあるでしょう。桜や、紅葉や、富士山や、田園を撮った、カレンダーになりそうな写真。ちょっと増感してあるような。
自分としては若者らしく、カレンダー写真のような俳句ではなくて、佐内正史の写真のような俳句がいいな、と思っていたわけですが。
よく考えると、カレンダー写真のような俳句も作るとなると、なかなか難しいですね。「まさをなる空よりしだれざくらかな 富安風生」みたいのができたら、そりゃ立派だな、と。「雪の上の大きな影は椿の樹 岸本尚毅」とか。
先日、「里」東京句会で、出会った句。
紅白の東京タワー風光る 宮崎二健
こんなカレンダーだったら、いい、と思いました。3月は、この写真で決定。
天気さんブログ
http://tenki00.exblog.jp/d2006-02-20
鬼海弘雄さん・連載
http://web.soshisha.com/archives/polka/index.php
俳誌「里」に1月から、「成分表」というタイトルで、短文を書いています。
心にうつりゆくよしなしごとの、面白さの「成分」を取り出してみよう、そしてそのテーマに適った例句と取り合わせてみようという試み。
このブログでやっていることを、逆方向から書いているとも言えます。
今回は「ハチミツとクローバー」の「雲」と「ラブロマ」の「背景」について。(漫画の話です)枚数の関係で「よつばと!」の写真トレースの背景がいかに良いかまで書けなかったのは残念なんですが、引いた例句にはちょっと自信あり。3月出来の3月号に載ります。
見本誌の申し込み・問い合わせは、邑書林まで。
younohon@fancy.ocn.ne.jp
心にうつりゆくよしなしごとの、面白さの「成分」を取り出してみよう、そしてそのテーマに適った例句と取り合わせてみようという試み。
このブログでやっていることを、逆方向から書いているとも言えます。
今回は「ハチミツとクローバー」の「雲」と「ラブロマ」の「背景」について。(漫画の話です)枚数の関係で「よつばと!」の写真トレースの背景がいかに良いかまで書けなかったのは残念なんですが、引いた例句にはちょっと自信あり。3月出来の3月号に載ります。
見本誌の申し込み・問い合わせは、邑書林まで。
younohon@fancy.ocn.ne.jp
さる句会で出された句です。これはいい、と取らせていただいて披講すると、みなさんお笑いになる。笑うなら取ればいいのに。
笹鳴や戸棚を開けて茶菓子とる 津久井健之
中七下五のごそごそした動きが、笹にも冬鳥にもうまく響いてるし、なんかこの部屋には炬燵がありそうで、季感もばっちりだし。この三段切れの力の抜けっぷりが、なんともよい。
ぽつくりと布団に入りて寝たりけり 臼田亜浪
歯が鳴つて欠伸がしまる鳥雲に 秋元不死男
腰折れに非ず、絶妙な「中腰」感。
笹鳴や戸棚を開けて茶菓子とる 津久井健之
中七下五のごそごそした動きが、笹にも冬鳥にもうまく響いてるし、なんかこの部屋には炬燵がありそうで、季感もばっちりだし。この三段切れの力の抜けっぷりが、なんともよい。
ぽつくりと布団に入りて寝たりけり 臼田亜浪
歯が鳴つて欠伸がしまる鳥雲に 秋元不死男
腰折れに非ず、絶妙な「中腰」感。
今日は、冴え返りましたね。(←言ってみたかった)
平井照敏の「新歳時記」の例句をみると。
冴えかへるもののひとつに夜の鼻 加藤楸邨
この句に「季題の特徴をもっともよく表す」アステリク(*)が、ついています。
えー?いや、好きだけどさ。夜の鼻、て。
これはあやしいと思って「ホトトギス雑詠選集」を見ると、一句だけ。
冴返るも糞もなく寒き信濃かな 浜人
えー?なかなか扱いにくい季語なのでしょうか。「俳句検索エンジン」をあたってみると。
魚の目を箸でつつくや冴返る 芥川龍之介
歯の腫れて来て冴返る日なりけり 久保田万太郎
わかりました。この季語は、本意が「ジジ臭い」なんです。
女性の方は、使われるとき、ご注意ください。
平井照敏の「新歳時記」の例句をみると。
冴えかへるもののひとつに夜の鼻 加藤楸邨
この句に「季題の特徴をもっともよく表す」アステリク(*)が、ついています。
えー?いや、好きだけどさ。夜の鼻、て。
これはあやしいと思って「ホトトギス雑詠選集」を見ると、一句だけ。
冴返るも糞もなく寒き信濃かな 浜人
えー?なかなか扱いにくい季語なのでしょうか。「俳句検索エンジン」をあたってみると。
魚の目を箸でつつくや冴返る 芥川龍之介
歯の腫れて来て冴返る日なりけり 久保田万太郎
わかりました。この季語は、本意が「ジジ臭い」なんです。
女性の方は、使われるとき、ご注意ください。
季語「熊」の本意は「負ける神」ということだと思う。
未だ月の匂ひをさせて熊の死よ ヤ・ユースケ
山ふたつむかふから熊の肉とゞく 飴山實
生くることしんじつわびし熊を見る 安住敦
季語「菜の花」の本意が「光」であることは誰もが首肯するところだろうし、
菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村
べたべたに田も菜の花も照りみだる 水原秋桜子
菜の花のおもひのほかに冷たしや 甲田鐘一路
そこから「菜の花」の塩漬けである季語「花菜漬」の本意が、「喪失」(または「郷愁」)であることは、容易に演繹される。
顧みて子なきもよしや花菜漬 新上一我
人の世をやさしと思ふ花菜漬 後藤比奈夫
多い目に御飯を炊いて花菜漬 稲畑汀子
季題とは別に、「本意」とは「蓄積された含意」である。
創作において、無意識の含意は使えるが、意識化(あるいは公然化)してしまったら、それはもう使えない。「本意」は密教である。そうか、こんなブログを書いている場合ではないか。
未だ月の匂ひをさせて熊の死よ ヤ・ユースケ
山ふたつむかふから熊の肉とゞく 飴山實
生くることしんじつわびし熊を見る 安住敦
季語「菜の花」の本意が「光」であることは誰もが首肯するところだろうし、
菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村
べたべたに田も菜の花も照りみだる 水原秋桜子
菜の花のおもひのほかに冷たしや 甲田鐘一路
そこから「菜の花」の塩漬けである季語「花菜漬」の本意が、「喪失」(または「郷愁」)であることは、容易に演繹される。
顧みて子なきもよしや花菜漬 新上一我
人の世をやさしと思ふ花菜漬 後藤比奈夫
多い目に御飯を炊いて花菜漬 稲畑汀子
季題とは別に、「本意」とは「蓄積された含意」である。
創作において、無意識の含意は使えるが、意識化(あるいは公然化)してしまったら、それはもう使えない。「本意」は密教である。そうか、こんなブログを書いている場合ではないか。
京都にいました。
春宵を駆ける舞妓を見たりけり 信治
全力で走ってました。
いや、ほんとに見たって、だけなんですけど。
春宵を駆ける舞妓を見たりけり 信治
全力で走ってました。
いや、ほんとに見たって、だけなんですけど。
俳句研究2月号を読んでいて(読んでるんですよ)、好きな句を見つけた。
のりしろや春はなのみの貝の舌 鳥居真里子
「黒こんにやくちぎつてなげて椿かな」という句もあって、いいかんじの無意味っぷり。
俳句において、既成の表現の引用は「既成句に季語を足しただけ」という言い方で、それこそ叱りことば的に忌避されることが多い。しかし、逆にこの二句などは、中七で仕事をしないことで、ヘリウムでも詰めたように軽さを実現。
リアルタイムで読む句もよいもんだ、と思った次第。
のりしろや春はなのみの貝の舌 鳥居真里子
「黒こんにやくちぎつてなげて椿かな」という句もあって、いいかんじの無意味っぷり。
俳句において、既成の表現の引用は「既成句に季語を足しただけ」という言い方で、それこそ叱りことば的に忌避されることが多い。しかし、逆にこの二句などは、中七で仕事をしないことで、ヘリウムでも詰めたように軽さを実現。
リアルタイムで読む句もよいもんだ、と思った次第。
立春ですね。(と、俳句ブログっぽく)
ハイクマが出来たとき、いちおう男二人、女一人なので、
誰かに「ドリカム状態だね」と言われた場合の、返しを考えました。
誰「ドリカム状態だね」
私「……そのばあい、吉田美和は、だれですか?」
誰も、そんなこと言ってくれないので、ここに書きました。
思ったこと。
・男2女1を見て、ドリカムと言うのは10年前だ、と分かった。
・吉田美和が誰かより、あのやめちゃった人が、誰かのほうが問題だ。
ハイクマが出来たとき、いちおう男二人、女一人なので、
誰かに「ドリカム状態だね」と言われた場合の、返しを考えました。
誰「ドリカム状態だね」
私「……そのばあい、吉田美和は、だれですか?」
誰も、そんなこと言ってくれないので、ここに書きました。
思ったこと。
・男2女1を見て、ドリカムと言うのは10年前だ、と分かった。
・吉田美和が誰かより、あのやめちゃった人が、誰かのほうが問題だ。
初心者として句会に出たりして、俳句にはなんと多くの「叱りことば」があることよ、と思った。
曰く「散文的」。曰く「報告」。「切れがない」「三段切れ」「付きすぎ」etc、etc……。
人間、否定されることを繰り返すと、自他の句中にそれら「叱りことば」的要素を発見しただけで
「あ、これだめ」とネガティブな反応を起こすようになる。ディシプリン完了。
アタった記憶のある食べ物に、無条件で蕁麻疹が出るようなもので、こんな不自由なことはない。
そこで、叱りことばの一つ「散文的」について、解毒を試みる。
除夜更けて湯沸しの蓋もちあがる 橋間石
俳句の韻文性の強調は、いたる所で目にする紋切型。
しかし俳句は、575・17音というだけで、もうじゅうぶんに韻文である。
俳句をことさら韻文であると強調することは、ほとんど同義反復っぽい。
紋切型は、俳句は韻文であるから散文性を忌避しなければならない、と続くのだが。
しかし韻文は、韻文だからこそ、散文「的」になる自由がある。
王女が町娘のふりをするようなもんで、それは可愛気というものだろう。
冷蔵庫に入ろうとする赤ん坊 阿部青鞋
韻文が、もし韻文「的」になったら、それは厚化粧ではないか。
似合っていれば厚化粧もけっこうだ。
しかし全ての句が、キビキビ朗々とした俳句調の俳句でなければならない、ということはない。
ま、
たぶん俳句の韻文性を言う人は「俳句は音楽的であったほうがいい」と言いたいだけなのだ。
それなら分かります。
しかし、散文的であることと、音楽的であることは、じゅうぶん両立しうると思う。
波郷にならって「17音の散文の切れっ端でなにが言える!」と言う人には、
「こういう歌なんですぅ」とお返ししたらいいと思います。
からからと音して亀を引きずりぬ 小林一茶
曰く「散文的」。曰く「報告」。「切れがない」「三段切れ」「付きすぎ」etc、etc……。
人間、否定されることを繰り返すと、自他の句中にそれら「叱りことば」的要素を発見しただけで
「あ、これだめ」とネガティブな反応を起こすようになる。ディシプリン完了。
アタった記憶のある食べ物に、無条件で蕁麻疹が出るようなもので、こんな不自由なことはない。
そこで、叱りことばの一つ「散文的」について、解毒を試みる。
除夜更けて湯沸しの蓋もちあがる 橋間石
俳句の韻文性の強調は、いたる所で目にする紋切型。
しかし俳句は、575・17音というだけで、もうじゅうぶんに韻文である。
俳句をことさら韻文であると強調することは、ほとんど同義反復っぽい。
紋切型は、俳句は韻文であるから散文性を忌避しなければならない、と続くのだが。
しかし韻文は、韻文だからこそ、散文「的」になる自由がある。
王女が町娘のふりをするようなもんで、それは可愛気というものだろう。
冷蔵庫に入ろうとする赤ん坊 阿部青鞋
韻文が、もし韻文「的」になったら、それは厚化粧ではないか。
似合っていれば厚化粧もけっこうだ。
しかし全ての句が、キビキビ朗々とした俳句調の俳句でなければならない、ということはない。
ま、
たぶん俳句の韻文性を言う人は「俳句は音楽的であったほうがいい」と言いたいだけなのだ。
それなら分かります。
しかし、散文的であることと、音楽的であることは、じゅうぶん両立しうると思う。
波郷にならって「17音の散文の切れっ端でなにが言える!」と言う人には、
「こういう歌なんですぅ」とお返ししたらいいと思います。
からからと音して亀を引きずりぬ 小林一茶
| ホーム |
