胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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06/8/25
メモっぽく。

・「ルール」という言葉、一部で不評。「ルール=守らされるもの」と思うみたい。

・“季語はデバイス”という天気さんの把握は、そのとおりだと思います。「ルール」が、肉化して「デバイス=装置」となったのでしょう。

・季語が統辞を複雑にするのというのは「住吉にすみなす空は花火かな 阿波野青畝」というような、むちゃなつながり方をしているのに、フツウに見える句が、頭にありました。ようするに季語が言いたいだけですか、という。でも、これを、季語が可能にしている書き方だとまでは、言いにくいですね。
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複雑
季語についての前記事、こちらこちらで触れていただき、田島さんの探求は続いているし、話は転々、楽しいことこの上なし。

天気さんから「複雑」というところがわかりにくいというご指摘があり、もともと「後述する」と書いていたポイントでもあるので、フォローを試みたい。とはいえ、これは最近の自分にとっての、鍵概念なので、ゆるゆるとアプローチ。

0.「複雑」は、とりあえず「平板」の反対概念である。
1.世界はしばしば「平板」であり、人間の思考内容は、しばしば「平板」である。そして、失敗した表現は、例外なく「平板」である。
2.つまり失敗した表現には、「複雑」が足りなかったのだ、と、まずは言ってみる。
3.ところで、成功したチョコレートやワインは、例外なく「複雑」である。
4.前もって経験されたチョコレートやワインとの、差異をこそ味わうべく、享受者の舌が条件付けられているために、それらの品もマニエリスティックな発展をとげたのだ、と説明はできるが。(俳句も?)
5.食べ飲みしていて感じるのは、どうも、その「複雑」の処理で、脳がいっぱいいっぱいになるときに、感じる「快美」というものがあるということだ。
6.あるいは、楽器演奏を聴くときに、そこにふくまれるニュアンスを、できるかぎり聴きとろうとして、感覚を細分化していくとき、感じる「快美」。
7.ククーッ、となる、あのかんじ。
8.言語表現においても、それらに同等の「快美」の経験はおとずれる。
9.それはもう、ふつうに「美」と言っても「外部」と言ってもさしつかえないのだが、そういったものの闖入を、テクニカルにあつかいたいという希望があって、以前にも「どこかから複雑さを呼びこむということが、表現全般の急所なのかもしれない。」(こちら)と、書いた。
10.自分は「複雑」という語に、より一般的な意味と、より個人的な意味をもたせて使っていたようで、天気さんにわかりにくいと言われるわけだ。
11.ただ、ちょっとそれを、「ひとつとしてあつかってみる」というアイデアを、転がしているところなのです。
季語と複雑
0.ひとりで、甘~いデザートワインを飲みながら考えた。
1.味覚は、発生的には、生存に有利な食物を選別するための情報入力だろう。
2.つまり、栄養豊富なもの、新鮮なもの、毒でないものに、プラスの指向性を効かせることが「おいしい」ということの本質。
3.しかし、甘い=栄養があるから美味いという動物性から、ヒトの味覚は、はるか遠くまできてしまっている。
4.甘さは生物にとって絶対的な価値である。しかし甘いワインの美味さは、以前飲んだ他のワインとの比較、甘い果物との比較、それと似た香りをもつ様々なものとの比較によって成立する、記憶に依存した相対的な価値である。
5.そのとき舌は、甘い甘くないという一元的な価値ではなく、イトミミズ状にこんがらがった価値の束を、同時に味わっている。
6.そのとき舌は、複雑性を喜んでいる。(という実感がある。この件については、後日)
7.情報を脳が喜ぶという意味では、食べ物も、詩も、根は同じだろう。
8.もちろん、この記事は、たじまさんブログの季語のシリーズ(参照)(参照)に刺激を受けて、書かれている。
9.季語は、俳句に、複雑さを、導入する。カレーにガラムマサラを振るように、たやすく。
10,川柳や無季句が、平板さ単調さを脱するためには、ほんものの詩的幸運が必要である。
11.自然は、人間にとって複雑である。
12.また、季語には、俳句によって担わされた含意があり、複雑である。
13.また、季語という独立部分があることは、俳句という「文」の統辞を、ひどく複雑にする。
14.いや「優季論」を展開するつもりはなかった。
15.季語は、俳句という遊びのルールだ。ほかに根拠はないと思う。サッカーは手を使わないと決めた、みたいなもので。季語というルールのもと、俳句は複雑化しおもしろくなったので、やめる必要もなく今に続いている。
16.たじまさんの「忌日とは人名だ」という把握。季語は特定の時と場所をもっているという把握、おもしろいです。ワン&オンリーのことば、裏に「the 」がつくことば、というかんじでしょうか。それが、挨拶にも、待ち合わせの鍵にもなっている、という。
俳句について書くこと、について
俳句は、あたりまえに一人数役やるものと思い、自分としては、前座が太鼓を叩くようなつもりで書いてますが。(いや、まずいたとえだな、これはw)

「多くの人に読まれ、多様な読者の体験が語られることによって、作品は発表後も変化し続けるはずである。」と、中村安伸さんが、簡潔に言われているように、俳句の「読み」について書くことは、たいへん生産的なことだと思われますし。

田島健一さん橋本直さんの言われる「全体を語ることで、俳句を語る」「俳句界を包含しうる俳句批評」は、今は、まだ端緒についたところでしょうが、そこから、何かイカシタ方法論が生まれるやも、と楽しみです。(C・グリーンバーグというアメリカの美術批評家は、「平面性」こそ現代絵画が目指すべきものであると主張して、抽象表現主義以後の美術運動を主導したとか、しなかったとか)

平面性といえば、天気さんの「表面俳句」(または「表層俳句」)。(こちらこちら
引用された「エリックのばかばかばかと桜降る 太田うさぎ」という句とともに、忘れ難いです。論がいらない「名付け」の力。

「名付け」ることは、何かについて書くことの、いちばん生産的な部分かもしれません。





06/8/4
通称さわDさんの、ご引率のもとに、目黒を吟行。猛暑。

・今年25歳のさわDさんが「目黒エンペラー」を、ご存じなかった。ミエさんと、驚きあう。昭和は遠くなりにけり。
・雅叙園の、例の装飾画だらけの部屋。マチコさんが「この床柱は何の木ですか?」と訊ねると、部屋の監視員のような若い女性は「パオブラジルです」と即答。
・庭園美術館の庭で作句。蚊に刺される。オーホくんと「美術館の二階にいた男女に見下ろされていたね」と、確認しあう。

氷店に並びて目黒雅叙園が     信治
森閑と氷菓を齧る運転手
アールデコ風庭園のみづすまし 
とんぼうの影の伸びゆく芝生かな

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