胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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生存報告3
いや、もう、ほんとにもう、の9月では、あった。

リアルタイムで見ていてくださった方には、とんだムイカノアヤメでございましょうが、いちおう話の続きをしてしまいます。

(あらすじ)「季語の根拠は、俳句というゲームのルールであることだ」と言ったら、「読者」にとって俳句はゲームだろうか、と問う人が現れた。ユースケだ。(前記事「生存報告2」のコメントご参照ください)

読者は、なにをどう読もうと勝手だから、俳句を、ゲームとしてではなく読むのは、当然ありうる行為だ。自分も、季語が分らない句は、読み切れず、飛ばしてしまうことが多いし。

しかし、俳句にはコード(暗号解読規則)がある。作者も読者も、それを知っていることになっている前提、季語とか切れとか配合とか先行作品とかを含んで、俳句はある。篠原梵は、そういうものを「俳句病」といって毛嫌いしていたそうだが、しかし。

言ってしまえば、作者と読者が、作品をはさんで、それぞれのコードを照らし合うようにするのが、俳句を書く/読むということなんじゃあないか。ワカリマスカ、ワカリマス、という確認し合い。連綿と続くコードをはさんだお遊びだ。もちろん、そこで終るわけではなく、その先にまた、芭蕉以来の全てのお楽しみがあるわけですが。

前提が、近代的な文学意識のない時代の、詩歌の伝統から生まれたものなんだから、俳句はまぬがれがたくゲームっぽい。もし俳句に、いわゆる文学から見て、おかしなところ恥ずかしいところがあっても、別にいいじゃんと思うのだ。(ところで、現代短歌は、あまりゲームっぽくない。「ゲーム」の反対語は「自己表現」なんだな、きっと)。

自分が書くときは、純粋読者であったころの自分も面白がれるように、わりと単純なコードだけ使って書くことが、多いです。
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生存報告2
またしても、生きてはいます、という話なのですが。

ユースケブログのコメント欄(下の方)で、句会の話が出てくる。その日、小澤さんの発言の前に、ユースケ君がぼくに「俳句がおもしろいって言うけど、おもしろいのは句会なんじゃないですか」と、挑発するように言ったことも、記録しておかなくっちゃ。

でも俳句はべつに、句会がなくてもおもしろい。死んだ人の俳句とか、最高です。
ただ、句会をやって、同時代の「俳句コロニー」を造らないと、自分たちの俳句は生き延びられないということは、あると思う。コロニーというのは、生きやすい環境に生き物(菌とか)が寄り集まっている状態を想定しています。

あと、小澤さんは、日本の詩歌の応答性を生き延びさせたい、という意識があるのではないかしら。恒信風のインタビューで、「俳句でいちばんたいせつなことは挨拶だと思っています」という発言が、あったし。

次の話題。
アヤカブログの、時間の話に関連して。

山本健吉が、かの「挨拶と滑稽」(講談社文芸文庫『俳句の世界』所収)で「時間性の抹消」と言い、「内面における同時性」「形式の時間性を抹消して、おのおのの言葉を同時的に現前させる」と言うのは、すこし与太っぽいと、前から思っていた。

健吉が、同時性の例として(とはっきり書いてはいないが、そうとしか読めぬ文脈で)引用する「梅若菜まり子の宿のとろろ汁」「奈良七重七堂伽藍八重桜」の二句、その言葉は、同時的に読まれるべきだろうか。むしろ、逐次的に「梅よねえ」「若菜よねえ」「まり子よねえ」「とろろ汁よねえ」と、順番に想起される、その駘蕩とした時間こそが、読みどころでしょ?

たとえば「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」。いくら読み返したって、風鈴は、下五の「鳴りにけり」のところで、ヂリ~ン、と鳴るじゃないですか。

ただ、俳句を時間から考えると、ほんとうに俳句というのは、音数通りの小さな詩になってしまうんで、それがイヤで山本健吉は、俳句を「波」ではなく「一つの刻印」と言ったりするのかな、とも思う。自分としては、俳句は小さくて切れっぱしでいっこう構わないが、それが立派なものになるチャンスは「刻印」としての俳句のほうに多くあるのかな、と。(そういえば今井杏太郎は「俳句は時間を詠むもの」と言うらしい)。

蛇笏の句も、ヂリ~ンの上に「秋」を効かせて読むと、ちょっと立派な「行きて帰るのココロだ!」。
生存報告
生きては、いるんです。生きては。

以下メモ風箇条書き。

・俳句に限らず、「表面」だいじ。「(句の内容に)詩がない」という評言には、とりあえず留保をつけたい。
・とはいうものの、対象はどうでもいいんだ、とか、いっさい既成の美的概念に依存せず、とは、言わない。それは、使えない話。
・いわゆる「詩がある」句と「詩がない」句を、一人の作者が並べて出すことに、意味を感じる。なんでだろう。折衷主義?

  月光に掻き鳴らすギターは出鱈目  加倉井秋を

ダメなものが、見ているうちに良くなっていく、というのが、好きなのかも。希望があるじゃないですか。


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