抒情性とは、なんだろう。
「抒情」は、辞書によると「感情をのべること」となっているが、これは、じっさいの語の使用範囲をカバーしていないと思う。
たとえば、怒りを述べることは、抒情性をもちうるだろうか。
あと「抒情的な音楽」はアリなのに「抒情的な映画」といわれると、筋なしのダメ映画が想像されるのはなぜか。
さて。
これは単なる珍説なのですが、日本人はどっかで「抒情」と「情緒」を、ごっちゃにしてしまったのではないだろうか。
「江戸情緒」とか「情緒てんめん」とか言うときの「情緒」です。
音も似てるし、「抒情」の「抒」が、パッと見、字義の判らない字だというのが、きっとよくなかった。「叙情」なら、詩を「叙情」「叙事」と二分する分類用語だということで、誤解の余地がないんですが。
「情緒」は、辞書には「感情をひきおこす雰囲気」とあるので、いわゆる「抒情的」「抒情性」にぴったり当てはまる。あと、さっきあげた例でいえば、怒って雰囲気を出すことはむずかしいし、「フンイキ映画」と聞いたら、見る気がしないのも当然…。
秋桜子は「俳句に短歌的抒情を持ち込んだ」と言われますが、そこは「短歌的情緒、あるいは短歌的ムードを持ち込んだ」と言ってもらったほうが、ぼくはしっくりきます。秋桜子は、たしかに情緒てんめんだけど、想いを述べることは、多くない(特に初期は)ですから。
評論集『魅了する詩形』の中で小川軽舟さんが「抒情詩としての俳句」ということを書いていて。やはり広辞苑の「感動や情緒を述べる」「ほぼ詩と同義」という解説からスタートしていたので、ちょっと同義反復的にグルグルしていた部分があった。俳句も近代詩の一分野である以上、みんな抒情詩のはずだ、とか。
でも「抒情」=「情緒」「抒情詩としての俳句」=「情緒のある俳句」ということであれば、それは、素質がある人がすればいいという話で終ってしまう。
そして、もちろん俳句は、そういうのばっかりじゃない。
「抒情」は、辞書によると「感情をのべること」となっているが、これは、じっさいの語の使用範囲をカバーしていないと思う。
たとえば、怒りを述べることは、抒情性をもちうるだろうか。
あと「抒情的な音楽」はアリなのに「抒情的な映画」といわれると、筋なしのダメ映画が想像されるのはなぜか。
さて。
これは単なる珍説なのですが、日本人はどっかで「抒情」と「情緒」を、ごっちゃにしてしまったのではないだろうか。
「江戸情緒」とか「情緒てんめん」とか言うときの「情緒」です。
音も似てるし、「抒情」の「抒」が、パッと見、字義の判らない字だというのが、きっとよくなかった。「叙情」なら、詩を「叙情」「叙事」と二分する分類用語だということで、誤解の余地がないんですが。
「情緒」は、辞書には「感情をひきおこす雰囲気」とあるので、いわゆる「抒情的」「抒情性」にぴったり当てはまる。あと、さっきあげた例でいえば、怒って雰囲気を出すことはむずかしいし、「フンイキ映画」と聞いたら、見る気がしないのも当然…。
秋桜子は「俳句に短歌的抒情を持ち込んだ」と言われますが、そこは「短歌的情緒、あるいは短歌的ムードを持ち込んだ」と言ってもらったほうが、ぼくはしっくりきます。秋桜子は、たしかに情緒てんめんだけど、想いを述べることは、多くない(特に初期は)ですから。
評論集『魅了する詩形』の中で小川軽舟さんが「抒情詩としての俳句」ということを書いていて。やはり広辞苑の「感動や情緒を述べる」「ほぼ詩と同義」という解説からスタートしていたので、ちょっと同義反復的にグルグルしていた部分があった。俳句も近代詩の一分野である以上、みんな抒情詩のはずだ、とか。
でも「抒情」=「情緒」「抒情詩としての俳句」=「情緒のある俳句」ということであれば、それは、素質がある人がすればいいという話で終ってしまう。
そして、もちろん俳句は、そういうのばっかりじゃない。
○巻頭・特別作品32句「鳥影」正木ゆう子
初春の九条をもて宝とす
前書きに「憲法」とある。「葱」だったらよかったのに。
○特別作品32句「七人」小澤實
跨線橋ポスター攻めや虎落笛
「ポスター攻め」という言いつづめ方が独特。(去年は「ソーセージころがし焼き」などがあり)「ささと鳴る天蚕の繭振りみれば」「漆喰壁に枯蟷螂や首直角」のような下五のだめ押しなどもあり、ともかく一句の言葉量・熱量を増やしてゆこうという行き方。あまりに無理な言い方の切迫感に、おかしみがただよいますが、「澤」3月号の「しぐるるやかなしきものに跨線橋」みたいなのも好きです。なんか「跨線橋」が、股火鉢みたいだ。
○特別作品21句「寒立馬」小原啄葉
吹雪く中人のかたちの雪歩む
有名な句に「海鼠切りもとの形に寄せてある」「土用芽や土葬の土の余りたる」とか、去年も「胸押してくる一枝より剪定す」とかあって、この作者、物からふっと生命を抜いちゃうみたいなことをするので、こわいです。ところで「海へ出る雲を遠見の寒立馬」って、去年の年鑑で見ましたけど。「行き違いになってしまった場合は御容赦ください」というやつでしょうか。
○一億人の季語入門(三) 長谷川櫂
季語と季題の違いを、定義されています。季語は「季節の言葉」であり、季題は「題になった季語」だそうです。長谷川さんは「や」の定義も、やってらっしゃいましたよね。
○「観察」竹中宏
上下に抽斗左右に抽斗ナイアガラ
草のインテリ草の王、草の黄
かっこいいですね。この作者、旧字を使われてるんですが(「草」でいえば、くさかんむりの真ん中が開いている)そのわりに「抽斗」や「百日紅」にルビを打たれていて、いったい、どういう読者を想定しているのか。
○「我思ふ、故に」仁平勝
我思ふ故に湯ざめして我あり
「魚座」が終巻して、どうされるのかな、と思っていたのですが、なんか、元の仁平さんに戻っちゃってます。
○合評鼎談
1月号の、松本てふこさんの「読初の頁おほかた喘ぎ声」について(すごい句だ)。櫂未知子さんが「作者は職業柄、そういう本を読まざるを得ない」と発言されてます。僕はむしろ「家でも読んでるのか」と思いました。
けっこう、今月は、読みどころがありました。
初春の九条をもて宝とす
前書きに「憲法」とある。「葱」だったらよかったのに。
○特別作品32句「七人」小澤實
跨線橋ポスター攻めや虎落笛
「ポスター攻め」という言いつづめ方が独特。(去年は「ソーセージころがし焼き」などがあり)「ささと鳴る天蚕の繭振りみれば」「漆喰壁に枯蟷螂や首直角」のような下五のだめ押しなどもあり、ともかく一句の言葉量・熱量を増やしてゆこうという行き方。あまりに無理な言い方の切迫感に、おかしみがただよいますが、「澤」3月号の「しぐるるやかなしきものに跨線橋」みたいなのも好きです。なんか「跨線橋」が、股火鉢みたいだ。
○特別作品21句「寒立馬」小原啄葉
吹雪く中人のかたちの雪歩む
有名な句に「海鼠切りもとの形に寄せてある」「土用芽や土葬の土の余りたる」とか、去年も「胸押してくる一枝より剪定す」とかあって、この作者、物からふっと生命を抜いちゃうみたいなことをするので、こわいです。ところで「海へ出る雲を遠見の寒立馬」って、去年の年鑑で見ましたけど。「行き違いになってしまった場合は御容赦ください」というやつでしょうか。
○一億人の季語入門(三) 長谷川櫂
季語と季題の違いを、定義されています。季語は「季節の言葉」であり、季題は「題になった季語」だそうです。長谷川さんは「や」の定義も、やってらっしゃいましたよね。
○「観察」竹中宏
上下に抽斗左右に抽斗ナイアガラ
草のインテリ草の王、草の黄
かっこいいですね。この作者、旧字を使われてるんですが(「草」でいえば、くさかんむりの真ん中が開いている)そのわりに「抽斗」や「百日紅」にルビを打たれていて、いったい、どういう読者を想定しているのか。
○「我思ふ、故に」仁平勝
我思ふ故に湯ざめして我あり
「魚座」が終巻して、どうされるのかな、と思っていたのですが、なんか、元の仁平さんに戻っちゃってます。
○合評鼎談
1月号の、松本てふこさんの「読初の頁おほかた喘ぎ声」について(すごい句だ)。櫂未知子さんが「作者は職業柄、そういう本を読まざるを得ない」と発言されてます。僕はむしろ「家でも読んでるのか」と思いました。
けっこう、今月は、読みどころがありました。
俳句に似てるもの。
ボンナイフ。
剃刀状の、四角い刃が、プラスチックのさやに折りたたまれて入っている。
児童が鉛筆をけずったり、消しゴムで彫刻をしたりするものです。
Bon! enough なんちゃって。
ボンナイフ。
剃刀状の、四角い刃が、プラスチックのさやに折りたたまれて入っている。
児童が鉛筆をけずったり、消しゴムで彫刻をしたりするものです。
Bon! enough なんちゃって。
| ホーム |
