前の記事のつづきです。
俳句が、句中に因果関係があることや見え見えのイメージ操作を嫌うことと、語の「動かなさ」を志向することは、相反した欲求だと思う。しかし、そこをひょいと乗り越えるのでなければ、お楽しみは多くない。
櫂未知子『食の一句』より。
遠雷や皿に寄り眼の目玉焼 さくたやすい
遠い雷鳴、食卓には〈目玉焼〉。ちょっと〈寄り眼〉にできちゃったと微苦笑している作者ーー要約すればただそれだけ。しかし、これこそ「俳句的」。(略)過剰な感情移入を望まず、その日に得た季語と眼前にあるものとを一句にする、この俳句ならではの面白さをわかって貰えるだろうか。
この「その日に得た季語」っていう言い方が、前項を書いているとき、念頭にありました。
まさに「偶然」。まるで、季語が、タロットかおみくじのようじゃないですか。
でも、おみくじって、けっこう当るんですよね。
俳句が、句中に因果関係があることや見え見えのイメージ操作を嫌うことと、語の「動かなさ」を志向することは、相反した欲求だと思う。しかし、そこをひょいと乗り越えるのでなければ、お楽しみは多くない。
櫂未知子『食の一句』より。
遠雷や皿に寄り眼の目玉焼 さくたやすい
遠い雷鳴、食卓には〈目玉焼〉。ちょっと〈寄り眼〉にできちゃったと微苦笑している作者ーー要約すればただそれだけ。しかし、これこそ「俳句的」。(略)過剰な感情移入を望まず、その日に得た季語と眼前にあるものとを一句にする、この俳句ならではの面白さをわかって貰えるだろうか。
この「その日に得た季語」っていう言い方が、前項を書いているとき、念頭にありました。
まさに「偶然」。まるで、季語が、タロットかおみくじのようじゃないですか。
でも、おみくじって、けっこう当るんですよね。
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