胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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「し」について
前も、ちょっと書きましたが、俳句における文語文法について。

佐佐木信綱は、『和歌入門』(明45)で、(ネットからの孫引きで恐縮ですが)

和歌は文学であるから、原則として文法を正しく守らねばならぬ。
と書くと同時に、

決して文法に拘泥してはいけない。
とも書いています。

今の文法の法則は、多くは平安朝時代の文章に存した掟である。文章が変遷すると共に、文法も変遷する。和歌は元より口語では無いから、大体に於いては古文の法則に倣ふべきであるが、併し時によれば、随分古文の法則を破つてもよい自由を有していることを忘れてはならぬ。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/intro/yomikata.html

さて。
現代俳句の文語文法「誤用」について、もっとも話題にのぼったのが、例の「し」の問題です。

「澤」2006/6月号 小澤實・西嶋あさ子対談より
(久保田万太郎の〈冬の灯のいきなりつきしあかるさよ〉に触れて)
實  最近「つきし」の「し」、これを文法の誤用だと説く方がいます。ただ、この「し」は芭蕉発句にもこのように用いられています。ちょっと前のできごとに過去の助動詞「き」の連体形「し」を使うことで、瞬間的なできごとを永遠のものにしようとしているのではないか、とも思います。

※芭蕉の「し」
  衰や歯に喰あてし海苔の砂
  夏の夜や崩れて明けし冷し物
  風色やしどろに植ゑし庭の秋

うちの辞書(旺文社『全訳・古語辞典』)を引いてみると、助動詞「き」の用法の二番目に、「平安末期以降の用法」として「完了・存続」「動作が完了して、その結果が持続している意を表す」とあります。箱のデザインが気に入って買った辞書なので、どこまでたよっていいものか分りませんが、そういえば、この用法については、片山由美子『俳句を読むということ』でも、言及されていました。

文法厳密派は、動作の結果が眼前に今あるものについては「回想」の「き」ではなく「完了」の助動詞「たり」を使うべき、と言います(片山さんは「筆者一人で判断を下すわけにはいかない」「実作者一人一人が真剣に考えてほしい」と言って、いちおう保留の立場)。

しかし、万太郎の句の「冬の灯」や「あかるさ」が、「つく」という動作の結果であると、どうして言えるのでしょうか。「冬の灯」が目の前にあろうが、なかろうが、「つく」を過去のこととして回想的に語ることは、作者の主観の自由です。万太郎の句は、まさに「いきなり」ついて、今、眼前には「あかるさ」しかないという内容。「つく」は、過去のある時点にあって、今はもうありません。それを「つきし」と言えば、通常の平安人の語感からは外れてしまうのかもしれませんが、かといって、そこに完了の意を加えることは、その「つく」を現在までひっぱってしまって、うまくない。

前掲の対談中の「『し』を使うことで、瞬間のできごとを永遠にする」とは、まだ、その場になまなましい、それこそ眼に残像が残っているくらいの事象を、ある過去の時点に「ピン留め」するように語る、ということなのではないか。

この「し」は、誤用とはいえないと思います。

  大空に又わき出でし小鳥かな   高浜虚子
  目貼してカーテン引きし書斉かな  〃

「わき出でし」は「いきなりつきし」と同じ感じで大賛成ですが、「カーテン引きし」は、どうなんだろう。この大先生の、適当さが眼にあまるというか、それをまた、みんなゆるーく踏襲するんで、反動として、もうちょっと文法しっかりせねば(古人に恥ずかしい)、と考える人がでてきたんでしょうね。




追記*「助動詞『キ』=目睹回想」というのは、1950年代に英文法学者・細江逸記が言いだして、通説になったものらしいです。ネットで見つけたこちらの論文(「古典語過去助動詞の研究史概観」井島正博/2001)の数頁をざっと読んだだけのにわか勉強ですが、その説には、疑問の余地がないわけではなく、ましてや、絶対的な法則というわけでは全然なさそうです(論文の筆者は、三省堂の古語辞典の編集委員の一人で、そういう人の「研究史概説」は、おおむねニュートラルな内容であろうと思われる)。
だいたい、文法学者の説に合わせて、言語運用の実態のほうを変えなきゃいけない、なんて言う人がいたら、それだけで眉に唾つけて聞かなければならないところ。俳人はみんな、人が良すぎます。
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コメント
この記事へのコメント
全く
賛成!

もう少し自分でも調べてみます。
2007/04/10(火) 11:23:12 | URL | ユースケ #v14okzU2[ 編集]
やあやあ
ユースケくん、ども、です。
気がついたことあったら、教えて下さい。

たとえば(平安時代ではなく)江戸時代を標準に置いたとしたら、「し」の問題は、どうなるんだろう、とか、そのころ係り結びのない「連体止め」って、どれくらい普通のことだったんだろうとか、それはやっぱり詠嘆なのか、とか(句末の「し」もあるじゃないですか、「なきがらの四方刈田となつてゐし 尚毅」とか)いろいろ気になってます。

辞書だけ見てても、分らないんだよね、そういうこと。
2007/04/10(火) 23:23:11 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
ぼくも賛成
「し」は、よくもわるくも「つよい」語だと思います。虚子の「カーテン引きし」みたいな表現には合わない、とぼくも思う。ゆるく使うのなら、遠い過去だったら合うと思うけど。いずれにせよ、安易な「し」はきらいです。
2007/04/19(木) 21:01:56 | URL | さるまる #-[ 編集]
なるほど
さるまるさん、ども。
「し」は、強い、なるほどです。

やっぱり「し」って言われると、すごくその動詞のところで、しまりますね。「山川に高浪も見し野分かな 石鼎」とかねえ。「見え」じゃ、だめですもんねえ。
2007/04/21(土) 02:05:34 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
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