胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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時間の俳句1「時間の幅としての17音」
一つの動作が、17音使って完結するような句。

   橙が壁へころがりゆきとまる     田中裕明

「橙が」の時点でおそらく橙は床に落ち、中七下五で床をころがり、「とまる」の「る」で壁にふれて止る。17音を読むための時間が、そのまま作品内の時間の経過となっている。

   づかづかと来て踊り子にささやける  高野素十
   鳥の巣に鳥が入つてゆくところ    波多野爽波

動作の主体が、フレームインして来て、何かして、終り。線的な言葉によって線的な動作が描かれるという機能美。余談だが、左から右への横書きがカンペキにふさわしい二句だ。

   座布団に薄の絮の来てとまる     富安風生

上五でまず眼前に「座布団」を置き、そこに「絮」が中七下五を使いゆっくりと降りてくる。描かれているのは、物と、物の運動。きわめて映画的であり、見えるという快感がある。

対して、爽波の句は見えない。「(ゆく)ところ」と冗語を入れ、情報量は意図して切りつめられている。そして、そのことでほとんど成功してしまっているのは、「鳥」から「運動」を取り出して見せるという、手品だ。17音の長さのフィルムに、運動だけが映っているという不気味さ。

時間の模型としての17音。




この記事は、神野紗希さんの裕明句についての、ブログに依拠して書かれました。

http://blog.drecom.jp/sternskarte/archive/39
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コメント
この記事へのコメント
鳥の巣の句で
「ところ」のところで、時間がみよーんと伸びる感触があるのは、なぜか。
2006/01/17(火) 11:38:11 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
紹介してくださってありがとうございますmm
うーん、何故でしょう。
他の掲出句のおしまいの動詞の終止形(連体形かも)と違って、十七文字中で動作が完了していないからでしょうか。こののちの動向に目を凝らそうと心をこまかくすることが、「ところ」の密度を濃くしていて、粒子量を均一にして並べると、

 鳥の巣に鳥が入って ゆ く と  こ   ろ

みたいな??
…こうしてみると「ゆく」というのも引き伸ばしに加担しているような。
2006/01/17(火) 11:58:53 | URL | 紗希 #Q4OpwjCQ[ 編集]
あ、なるほど
「入ってゆく」って言われたところで、動作が完了したかと思うと、まだ入ってなくて「ゆくと こ  ろ」と、じらされるから、伸びるのかな。

不器男の「にはとり柵を越えにけり」は、意識されているのだろうか。爽波、おもしろいですね。
2006/01/18(水) 22:56:44 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
確かに、じらされるってかんじですね!
不器男のやつは、
「けり」で、その後を追いかけたい気持ちをすっぱり切り捨てられちゃう感じがするような・・・。
爽波、面白いですね。その、のちのちの影響も、もっと読めば見えてくるのかなあと考えたりしています。
2006/01/19(木) 22:05:27 | URL | 紗希 #Q4OpwjCQ[ 編集]
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