胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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時間の俳句3「時間外」
時間を書いて、時間の外に出ている句。

   濯ぎものたまりて山に毛蟲満つ    田中裕明

里には洗うものがたまり、山には毛虫が増えている。「場所」が二つあって、両方で「時間」が進行している。この二つの「時間」の関係が、分かりにくい。

というか、書いてない(笑)。

「われわれの宇宙とはなんぞや~と問えば、時間と空間のれんぞくたいである~♪  by所ジョージ」われわれは現実世界を「一つの空間が一つの時間軸を移動していく連続体」として認識している。もう一つの宇宙とか、もう一つの時間とかは、SFである。

しかるに、掲句。二つの「時間」は、一つの時間軸上にはない。

「濯ぎもの」は眼前にある。「毛蟲」は山にいる、というか作者の幻想。「たまったなあ」という認識と、「満ちてるだろうなあ」という想像。この位相のずれがあるために、二つの事態は、一つの時空間にイメージすることが困難である。

というか、無理(笑)。

しかし、二句一章の二句を衝突させて読むことは、俳句読者にとってプロトコル(礼法)である。一般の読者には読めない。しかし俳句読みには、これが読めてしまうのだ。

認識上の「時間」と想像上の「時間」。微妙にずれた「時間」が、二つ、接合するように並べてある。いま思わず「並べてある」と書いた。「並べてある」って、どこに? どこか、「時間外」の場所、「時間」が二つ置けるような場所に。言葉でこねあげた、俳句上の天地に並べてある。

それはもう、SFである。


追記:
とりあえずこの難解な句を、時間の句として読んでみたが、それが本当に作者のモチーフだったかどうかは、ぜんぜん分からない。ただ、いつもは「毛蟲満つ」のようなものものしい語彙を使う作者ではないので、この句は、はじめから不気味な句として書かれた、と感じる。

   指先の赤くて地虫出でにけり    裕明  

「濯ぎもの」は、第一句集に、「指先の」は二十余年後の第五句集に、ある。
作者のモチーフというもんは、ほんと謎。 
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信治さんが田中裕明の句をとりあげていらっしゃる。  濯ぎものたまりて山に毛蟲満つ   田中裕明「時間」がテーマである、信治さんは書く。「場所」が二つあって、両方で「時間」が進行している。この二つの「時間」の関係が、分かりにくい。というか、書いてない(笑)
2006/01/25(水) 18:09:49 | 俳句的日常 come rain or come shine
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