胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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散文的
初心者として句会に出たりして、俳句にはなんと多くの「叱りことば」があることよ、と思った。
曰く「散文的」。曰く「報告」。「切れがない」「三段切れ」「付きすぎ」etc、etc……。

人間、否定されることを繰り返すと、自他の句中にそれら「叱りことば」的要素を発見しただけで
「あ、これだめ」とネガティブな反応を起こすようになる。ディシプリン完了。
アタった記憶のある食べ物に、無条件で蕁麻疹が出るようなもので、こんな不自由なことはない。
そこで、叱りことばの一つ「散文的」について、解毒を試みる。

   除夜更けて湯沸しの蓋もちあがる   橋間石

俳句の韻文性の強調は、いたる所で目にする紋切型。
しかし俳句は、575・17音というだけで、もうじゅうぶんに韻文である。
俳句をことさら韻文であると強調することは、ほとんど同義反復っぽい。
紋切型は、俳句は韻文であるから散文性を忌避しなければならない、と続くのだが。

しかし韻文は、韻文だからこそ、散文「的」になる自由がある。
王女が町娘のふりをするようなもんで、それは可愛気というものだろう。

   冷蔵庫に入ろうとする赤ん坊    阿部青鞋

韻文が、もし韻文「的」になったら、それは厚化粧ではないか。
似合っていれば厚化粧もけっこうだ。
しかし全ての句が、キビキビ朗々とした俳句調の俳句でなければならない、ということはない。

ま、
たぶん俳句の韻文性を言う人は「俳句は音楽的であったほうがいい」と言いたいだけなのだ。
それなら分かります。
しかし、散文的であることと、音楽的であることは、じゅうぶん両立しうると思う。

波郷にならって「17音の散文の切れっ端でなにが言える!」と言う人には、
「こういう歌なんですぅ」とお返ししたらいいと思います。

   からからと音して亀を引きずりぬ  小林一茶      

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コメント
この記事へのコメント
なんか
この回、ユースケ君っぽいですな。
2006/02/02(木) 01:23:38 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
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俳句が論じられる際、例句はおもしろいほうがいい。信治さんのブログは、例句がとてもよろしいので、嬉しい読み物だ。俳句を評するときの「散文的」という言辞について論じたエントリーでは、そのテーマはテーマで興味深いのだが(散文的でもおもしろい句はありますねえ、た
2006/02/04(土) 02:32:00 | 俳句的日常 come rain or come shine
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