胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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俳壇
芝不器男賞選考会当日、アヤカさんが、グレーのスーツに白ブラウスなんか着ている。
私「どうしたの、就職活動みたいなかっこして」
ア「今日が、私の就職活動ですから」
その認識の、正鵠を射てロコツであることに、友人として誇りを覚える。
たしかに、新人賞は「俳壇」への就職試験かもしれない。
ア「勝負パンツ、穿いてきました」
そこまで言わなくてもいい。

「俳壇」の定義については、以前、ハイクマ掲示板で応酬があったわけですが、その後、つらつら考えたこと。

1.「俳壇」は、作家とその周辺からなるギルドであろう。
2.「文壇」「俳壇」「論壇」「詩壇」etc。それら「壇」の機能とは?
3.明治における「文壇」とは要するに「評判記」ではなかったか、と、思いついて、ググってみたらーー

江戸時代のはじめ、日本でも版本刊行の興隆期において、早くも大きな一ジャンルをなしたのは「評判記」であった。遊女評判記から役者評判記へ、そして江戸中期には文芸、風俗その他、諸事万般の評判記へと広がってゆくのだが、それがいまも 存続する「文壇」「画壇」、また「芸能界」などといった、想像上の社会空間を産み出す基本アーカイヴとなったのであった。(武蔵大学 日本文化専攻「日本美術史研究1・2」授業計画より)

ーーすでに定説であった。

4.「壇」とは、つまるところ「評価の装置」である。
5.マンガには「壇」がない。新人への評価は、編集部が下す。既成作家への評価は、読者(あるいは市場)が下す。
6.いま「壇」があるジャンル=商品性という評価軸のないジャンル、なのではないか。
7.「俳壇」は「俳壇」自身による、自己評価によってドライブされている。
8.なんか「自己目的化」とか「相互監視」とか「教条化」とか「蛇の尻尾呑み」とか「定向進化」とか「よそとの交流のない村で血族結婚を繰り返し」とか、山ほど不健康なことが起こる契機がある、気がする。
9.しかし当面は、「俳壇」が、作品の「評価」と「流通」のインフラである。
10.「評価の装置」の健全性は、いかに担保されるか。
11.こわいおっちゃん? 
12.ていうのも、ださいんだよな。
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俳壇についての信治さんの記事が面白い。http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-42.html評判記に端を発する「想像上の社会空間」としての「壇」という学究的把握を見いだした仕事は、俳人として上出来(失礼な言い方ですが、俳人全般をおちょくって、信治さんを誉めてます
2006/03/24(金) 02:20:47 | 俳句的日常 come rain or come shine
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