胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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俳句の朗読について
ばらばらっと書きます。

先日、俳句朗読の催しに参加してきました。
(↓こちらのBBSの2006/4/3あたりの書込みで、様子が分かります)
http://6405.teacup.com/haisato/bbs

去年、某嬢(アヤカに非ず。トシキにも非ず)が「俳句って、朗読に、むいてないんちゃう?」(伊予弁てきとう)と語るのを聞いて以来、まあ、そういうことは、言えなくはないかもと、思っていました。

いちばんのむいてないポイントは、俳句は圧縮性が勝負なところでしょうか。

話者のことばが発されるスピードに、聞き手のイメージが浮かぶスピードが、追いつかない。かといって、ゆっくり読めばいいというものでもないのは、たとえば二句一章の場合。二句のあいだの飛躍に圧縮があるわけなので、5音なり12音なりを聞いた後で、その切れ目に立ち戻って、イメージを解凍しなければならない。なかなか、聞き手の仕事が多くて難しい。

しかし、朗読は、聞くのもやるのも、なかなか面白いです。

いちど書かれた詩語を声にすることは、言葉を産み直す、とでもいうんでしょうか、発語の瞬間を演技することです。「ああ、この人の言葉はこんなかんじで、出てくるのかあ」と、いきなり納得できてしまう。

その意味で、島田牙城さんの日舞朗読「男」が、爆笑で迎えられたことは、正しく当日のピークでありトリにふさわしかった。

自分の朗読原稿をここにあげておきます。(字で読んでも、そんなに、あれかもしれませんが)いちおう。

「今日は特に」

  春の朝この人はまだ寝てゐます
  目の開いて起きたと思ふ自分かな
  春の朝顔を洗つて飯を食ふ
  新聞の犬の写真に感心す

  外へ行く靴を履かねば行けぬなり

  電線にあるくるくるとした部分
  この表札は失敗だらう人の家
  人の家テレビの裏が見えるなり
  人の家人がこちらを見てゐたり
  穴を掘り工事の人ら静かなる
  小さき男の押しゐたる犬小屋ほどの機械かな
  だいたいで工事の終る春の昼
  帰りゆく工事の人よ吾も帰る

  下りるしかなく下りてゆく春の坂

  玄関といふ家の穴ドアのある
  手使はず靴を脱ぐことができる
  ただいまと家に言ふなり春の暮
  電球が切れていろいろイヤになり
  しとどに濡れて薬罐に映る私かな
  瓦斯の火の音すさまじき自宅かな
  沸き立てる薬罐をわざと見てをりぬ
  茶筒にお茶の湧くごとく我が心にも雨のふる

  ものの音三つ二つ一つかな
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コメント
この記事へのコメント
信治さんやばいよ
>正しく当日のピークでありトリにふさわしかった
いかんいかん、そんなに褒めたら、
あの人、すぐに図に乗るよ。あぶないなぁ……(^^)
なお、皆様、貼り付けたURLで、信治さんはじめみんなの写真をご覧になれます。
2006/04/08(土) 10:37:57 | URL | がじやう #C/VgCf6Q[ 編集]
(笑)
そういえば、寒蝉さんが「この男は誉めると溶けるから、なめくじに塩だから」と、言ってました。
2006/04/08(土) 15:20:41 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
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