胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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上五の体言止
ときどき「上五の体言止め」には注意せよ、ということを聞きます。切れがあいまいになるのでイカン、「上五が後半の動詞の主語」のように誤読されたり、逆に「作者が後半の動詞の主語」のように読めたりするのでイカン、ということらしいのですが。

「上五の体言止め」といえば波郷ですよね。

   プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 石田波郷

この句は、さいわい、後半に主格の助詞「は」があって助かったのですが、「夜もみどりなる夏来たり」だったら、たちまち、「夏にプラタナスが来る、と読める」と突っ込まれることでしょう。

   百日紅ごくごく水をのむばかり   波郷
   鰯雲ひろがりひろがり創痛む    〃

こう来ればもう、先生たちは鬼の首でも取ったかのごとく「百日紅が水を飲みますか」「手術の傷がひろがったら大変だ」とか言い出すわけです。しかし先生、あなたはそれを、波郷に言えますか? そんなこと言ったら、溲瓶で頭を割られますよ。

「波郷のような天才は別。古来『名人危うきに遊ぶ』といって……」と、先生は言うのかもしれない。でも、そうだろうか。狙ってやってるとしたら、人も木も水を飲むとか、雲も傷も広がるとか、ふざけすぎじゃないだろうか。波郷って、ただ、天真爛漫というか、無意識なだけでしょう(断言)。そんなふうだから「霜の墓」みたいな、突っ込まれやすい代表句を書いちゃったりするんですよ。

いや「語法がゆるい句は、ゆるいんだ」というのは分かります。しかし、ぜんぶの句が、同じしっかりさ加減を目指す必要はないのではないか。あの切れ字原理主義者の波郷が、上五の体言止めを好んだ意味を、どう考えるのか。

どうも、世の中間違っとるよ、という気がするわけです。
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コメント
この記事へのコメント
おひさしぶりです。
ちょっと前のエントリなんで反則かも知れませんが。
 金亀子擲つ闇の深さかな
これ、絶対上五は主語とは読まれませんよね?

この六月に教育実習に行くことになったのですが、教科書にこの句が載っていて分析したらどーなるんだろう。と。
虚子は……やっぱり口先でしか公式を大事にしないのか、それとも追随者が無作為に公式至上主義者になっていってしまったのか?
2006/05/08(月) 23:16:46 | URL | 久留島 #yLKHocpY[ 編集]
そーですねえ
「金亀子」の句は、「を」の省略で、まあ、まぎれませんが、ホトトギスは、たぶんあんまりうるさくないのかも。「蟻地獄松風を聞くばかりなり 素十」「夜の園くわいくわいと鳴く蛙かな 青邨」とか、ありますからね。
長くやってる人なら、わかるんでしょうけど、こんなにみんなが語法にうるさくなったのって、いつ頃からなんでしょう。

あと、俳句甲子園組は、けっこう、ゲンミツだよね。
2006/05/14(日) 13:02:20 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
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信治さんの「上五の体言止」という記事が興味深い↓http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-51.html言い換えれば、上五が名詞(節)の場合、 その末尾で切って読むか(A)、 主語(あるいは目的語)として(助詞を補って)読むか(B)という問題。これは句を捻るときも
2006/04/29(土) 18:15:54 | 俳句的日常 come rain or come shine
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