胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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「匿名」と「無名」(改)
フレデリック・ブラウンという昔のSF作家の短編「スポンサーから一言」。

ある日、世界中のラジオから「ここでスポンサーから一言……『戦え!』」というメッセージが流れる。アメリカはソ連の仕業だと思い、ソ連はアメリカの仕業だと思い、宗教界は悪魔の声だという意見と、神の逆説だという意見に分裂し……世界中でいろいろあって、けっきょく最終戦争が回避される。

この短編のテーマは「すべてのメッセージは、発信者の身元が気になる」ということだ。
いや、「すべての伝達行為は、その内容として、発信者をふくむ」かな。

俳句は、しばしば「匿名」で読者に手渡される。しかし読者が、匿名の一句から、鮭のように遡って作者像を仮想するのは、ほとんど条件反射のうちである。人間、知らない人の言うことは、聞けないからだ。

読者は「その人の言うことを聞く気になれるかどうか」言い換えると、作者が「いい人」かどうか「好きになれる人」かどうかを、作品中に探そうとする(あと、俳句の場合「俳句観が合うかどうか」)。そして、なんとなく「どういう」「誰か」が書いた、という手がかりを集めて得心する。新人賞の審査で、審査委員たちが「作者は理系か」「これは海外詠か」「若い人か」とか気にしているのを読むと、すこし微笑ましい、というか同情する。あれはブラインドテストだから(42%の人が、ペプシコーラを選びました)。自分も、賞に応募するとき、若いオッサンですよ、という自己紹介が、かすかに伝わるような句が一句あるといい、と思ったりするが、そんな都合のいい句は、なかなか書けない。余談であった。

さて。しかし、作者像が気になるという読者の性を越えて、作者が誰であってもいい、と思わせる句がある。それは「神様」が書いたような句であり、誰が書いてもよかったような句でもある。それは、普通の句会に普通にある。


   金魚玉明日は歴史の試験かな   高柳重信


少年時代の重信は、句会で大人たちがこの句をほめそやすのを聞いて、驚倒した、なぜなら、その句は俳句形式がかってに書いたものであって、彼自身は指一本動かしていなかったからだ、、、、、と書いたか語ったか、どこで読んだのだったか忘れてしまったが。この「金魚玉」の句なんかは、何も言ってないところが、なかなか「神様」っぽい。(子供の神様ではありますが)


   凩に生きて届きし海鼠かな    石井露月


俳句は「賜る」もの、とか、そういう話ではなく。

俳句の(あるいはすべての)文言には、語の意味、文の意味に還元できないメタメッセージが、たっぷりとふくまれている。そのひとつに、作品から自ずと知れる作者像がある。しかし俳句は、「誰か」特定の、発信者の個性をメッセージしないような、メッセージで(も)ありうる。

それは、ほとんど型でできている、俳句という方法の、一つのメリットだろう。

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昼間に引用した2記事。まずは信治さんの記事「匿名」と「無名」(改)について書こうと思って、覗いたら、補筆があったようで、書こうと思っていたことが、ある意味、もう書かれていた。それは、この部分。しかし俳句は、「誰か」特定の、発信者の個性をメッセージしないよ
2006/06/02(金) 01:11:48 | 俳句的日常 come rain or come shine
俳 句 講師  「雨月」主宰、俳人協会名誉会員  大橋 敦子 俳句は眼に触れた自然の中から“ハッ”と受けた感動を17文字にまとめればいいのです。「秋風や眼中のものみな俳句 虚子」 精神的ゆとりが生まれ、一日一日が輝いてきます。無記名による添削指導、名句鑑賞や
2006/06/24(土) 21:36:56 | 大阪 教室ニュース
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