胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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鉱脈について
西原天気さんのブログの、11/7の「鉱脈」という記事。
折にふれ、そこで語られたことについて考えている。
http://tenki00.exblog.jp/d2005-11-07
いつにも増して口ごもりがち、噛みがちになると思うのだけれど、以下とりとめもなく。

1.「鉱脈」という言葉をばらしていうと、新しい作品のうまれる可能性ということか。
2.いま中心に近い場所で書くことは、打率が悪い。
3.あるいは、掘っても掘っても、残るようなものができない。歩留まりが悪い。
4.かもしれない。
5.中心、、、とりあえず「文脈的蓄積の濃い場所」としておく。
6.蓄積が濃いあたりには、なにがないのか。あるいは、ありすぎるのか。
7.酸素?  
8.スペース?
9.ごみ?
0.ある「場所」で書く、ということは、その場所の「読み」の「文脈」で書くということだろう。
1.「文脈」は、新しい作品が加わることで、更新されなければならない。
2.余談・虚子の伝説的選句眼というのは、とにもかくにも新傾向の作品に「印可」を与えて、無節操に「文脈」を拡張していった、ということなんでしょ? 突然とんでもない破調の作品を認めて、自分も書いてみたり。何のために。虚子=俳句でありつづけるために。
3.「文脈」が更新されない場所で書く。
4.「このごみの山に、また一句ごみを入れてどうすんだってのはあります(笑)」恒信風創刊号('95 6)での小林恭二の発言。
5.                (この発言につけくわえることは、何もないな)
6.あとは、そこは、ここは、どういう「場所」なのか、だ。
7.肩甲さんはどこにいる。
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すこし前、恒信風を読んでから書いた「鉱脈」という記事に、上田信治さんからトラックバックをいただいた。議論を展開していただいている。興味深い。ふつうなら、そのまま展開を待てばいいのだが、この「鉱脈」という記事、自分でちょっと引っかかるところがある。なので、
2005/12/05(月) 21:12:49 | 俳句的日常 come rain or come shine
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