胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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06/6/12
去年出た「12の現代俳人論」の「波多野爽波論」(中岡毅雄)から、読みついで、飯島晴子「俳句発見」(昭55)を、読んでいます。

飯島晴子が、爽波と素十を比較し「素十俳句には非自然の面白さがあり、爽波氏の俳句には自然が手放されていないよさがある」と書いたことを引いて、中岡さんはそれを「錯誤」と言い切っているのだけれど、どうなんだ、と思って。

飯島晴子は同じ文中で「爽波氏の写生とは、自己以外の外界と(略)できるかぎり強く接触することによって、自己の意識の下にかくれているものに日のめを見せる」ことなのだろうと、書いていて、要は「自然」という言葉の使い方の違いであった、ということが分かったのですが、それはともかく「俳句発見」は、よかった。

飯島晴子は、「四S前後」という文章で、ホトトギス系の作品の或るものは「言葉の機能が実によい」と言い、それらを「言葉が(略)詩の機能を果たしているかどうか、という観点から再評価したい」と書きます。しかし一方で「五十年前、秋桜子・誓子ではなく、青畝・素十を俳句が選んでいたとしたら、今日の俳句の衰弱は更にひどいことになっていただろう」と言います(当時のホトトギス雑詠の、退廃・低調ぶりを容赦なく例をあげて、示したあとに)。

1)問題設定が、このブログで書いている内容と、そこはかとなく一致していて嬉しい。
2)ていうか、この二十年の俳句の多くの部分(岸本、長谷川、小澤各氏らの仕事に代表される)が、晴子の問題設定の延長線上にあった、とも言えるか。
3)俳句が、青畝・素十を選んでいたら、という認識に慄然。なぜ自分の好きな素十が、その後の俳句にとってビミョーな存在であったか、ちょっと分かった。
4)しかし、俳句の現在が「青畝・素十」を選び直してしまった感がある、っつーのは、どーよ。


   竹植ゑてそれは綺麗に歩いて行く  飯島晴子

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コメント
この記事へのコメント
じつに、
面白い。
2006/06/13(火) 23:02:36 | URL | ミ(青畝系?) #HK80fyCU[ 編集]
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