胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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俳句を読むこと
西原天気さんが、ブログで、上田の「団地」について書いて下さっている。
http://tenki00.exblog.jp/3181686

嬉しかったです。小躍りするほど。(あちらのコメント欄に、小躍りの跡が残っています)

「里」で、能城檀さんが書いて下さったときも、こちらの特設掲示板で、みなさんが書いてくださったときも、佐藤文香の不器男賞の作品について「里」六月号でいろいろな人が書いて下さっているのを読んだときも、ほとほと嬉しかったです(注目していただけるのは、新人の特権ですね)。

俳句を「人が読んでくれる」ということは、じつに、ありがたい。

俳句の場合、読むことは、読者からの「贈与」だから、ありがたいです。

私の拙い作を、優れた読み手である天気さんが読んで下さったという、上下関係ゆえに、
読むことが贈与になるのではありません。(今回は、そういう面もありますがw)

いかなる過去の名句も、その句にとっていちばん新しい読者に、今日、出会って読まれることだけが栄光だから「贈与」なんです。

読者のあなたが、それを読まなくても、マンガはたぶんマンガでしょう。映画も、ポップミュージックも。表現自体(と、それを支えるシステムと)が強固で、たとえば文化的枠組みを平気で超えていく力がある。受け手は、そこ(作品およびシステム)に「享受者」として、参加します。

俳句は、誤解をおそれず言えば、より脆弱な表現です。他の強い方法に比べて、文脈依存性(過去のアーカイブ、読みのルール、仲間意識etc)が、ひじょうに高い。言い換えれば、しかるべき読み手に出会えなければ、表現として成り立たない。作者は特権的地位になく、いわば受け手は、ジャンルの「主原料」である。

他のジャンルと違い、ここでは、上から下へではなく(まして下から上へではなく)横位置で表現が手渡されます。そして、全員が受け手です。かくして読むことは、作者、作品、ジャンルを、成り立たせる「贈与」です。

読んで下さって、ほんとうに、ありがとうございます。句になりかわりまして、御礼をもうしあげます。また、みなさんの作品を読ませて下さい。

よろしくお願いいたします。


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コメント
この記事へのコメント
>天気様 
書きたいことを書ききらないうちに、文章が、かってに終ってしまいました。

>冒頭の句で魚屋の前に立っていた男と、50句目の他人の裸を見ている男とは、たしかにたしかに同じ男なのだ。

ここが、ほんと、嬉しいです。
かねがね、けっきょく「本人」しか売り物ってないもんだ、と思っていましたから、おことば、染みました。ほんとうに、ありがとうございます。
2006/06/15(木) 03:37:54 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
いつもの信治さんじゃないですねww
ホントに、よかった。私も嬉しいです。
2006/06/15(木) 05:23:50 | URL | あやか #NpCq7FQQ[ 編集]
内容にすごく共感しました。嬉しさも伝わってきました。良い句を見たら「作者にありがとう」って思うし良い鑑賞をされたらもっと嬉しい、その「嬉しい」の連鎖が好きです。この文章も、読めて「嬉しい」です。必然ではない「嬉しい」も、それはそれで素敵ですね。
2006/06/15(木) 10:11:46 | URL | saki #L8AeYI2M[ 編集]
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