胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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生存報告
生きては、いるんです。生きては。

以下メモ風箇条書き。

・俳句に限らず、「表面」だいじ。「(句の内容に)詩がない」という評言には、とりあえず留保をつけたい。
・とはいうものの、対象はどうでもいいんだ、とか、いっさい既成の美的概念に依存せず、とは、言わない。それは、使えない話。
・いわゆる「詩がある」句と「詩がない」句を、一人の作者が並べて出すことに、意味を感じる。なんでだろう。折衷主義?

  月光に掻き鳴らすギターは出鱈目  加倉井秋を

ダメなものが、見ているうちに良くなっていく、というのが、好きなのかも。希望があるじゃないですか。


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コメント
この記事へのコメント
俳句って、詩だよね?
「詩がない」「詩がある」というときの「詩」っって、なんなんでしょうね。

俳人100人にアンケート

遠山に日の当りたる枯野かな
には、「詩」はある?
鶏頭の十四五本もありぬべし
には?

ぼくの答えは、「ある」です。
2006/09/06(水) 01:22:57 | URL | さる☆まる #-[ 編集]
一般に
叱り言葉としての「詩がない」は、
「俳句の形はしているが、内容が、詩らしくない」という意味で、使われていると思います。

でも、詩らしい詩、俳句らしい俳句、というのは、スタートの時点で周回遅れなんですよね!!

2006/09/06(水) 03:04:06 | URL | 信治 #tl9rY.2.[ 編集]
周回遅れ!
ってオモシロイ。××らしい、というのは、つまり過去の累積があるっちゅうことだから、らしさは大概つまらないかもね。エッと、ドキドキはらはらがないって意味で。メチヤクチャらしいと、それはそれでオモロかったりするのですが、それは別の話。
2006/09/06(水) 10:03:24 | URL | 苑を #-[ 編集]
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信治さんの「生存報告」という記事を読んで、ちょっと。http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-81.html生きていらっしゃるとは思っていた。そんなことじゃないんだ。俳句における「詩」ということ。これって、人によってかなり幅のある受け取り方をしていると思う。私自身
2006/09/06(水) 22:07:52 | 俳句的日常 come rain or come shine
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