胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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「魚座」の俳句(3)
(承前)
に、「谷を渡る糸」に俳句を喩えたが、そのばあい、糸が地べたに落ちることは何かと言えば、それはことばが俳句になりそこねるということだろう。(*1) もう一つ言えば、越えられることが分っている谷をいくつ越えても、それはお楽しみとはいえない。詩のことばは、自分で作った谷を、自分で越えるのだ。

さて。
ごくごく淡い内容を、余計なことを言わず調子を上げも下げもせず、十七音を使い切って言い終わる。その平易にみえて際どい「谷」の道行きを、たどり直すことが、杏太郎の句を読む楽しみだ。作者が「俳句は呟き」と言うのなら、それは「つぶやき直す」ことでもあろう。(*2)

あらかじめ、たいしたことを言おうというのではなく、ちょっとのことを、うまく言い終わればおなぐさみ(曲芸)である。すると、そこから遡行して、何か「内容」(*3)めいたものが生じる、という方法。

ところで、ある人にとって「ただごと」が叱り言葉でありうるのは、世界は「ただごと」に満ちており、そこから「ただでないこと」を、拾い出すのが「詩」である、という考えが前提となっている。

杏太郎は主宰誌「魚座」に、猿が木から落ちることを、人は異常なこととして考えるが「『魚座』では、猿がするすると木に登ることの不思議さを、じっくりと考えて欲しい」と書いた。

しかし「猿が木に登る」と書くことは、その「不思議」を書くこととイコールではないはずだ。

もし「猿が木に登る」と書いて、書いたものが俳句になっていれば、それは「不思議」が書けたことになるのだろうか。

……。

案外、そうなのかもしれない。

「魚座」は少人数の結社ながら、会員が、総合誌の新人賞などで存在感をしめした。
(メモをもとに書いているので不確かなのだが)杏太郎は「魚座」誌上で、俳句をつくる以上、俳句の形をしているものが書けるようになったほうが楽しいはずだ、そのための指導は惜しまない、という意味のことを発言していた。たしかに「魚座」は、指導において成功した結社だったと、言えるだろう。


   秋風に吹かれて箱を組み立てる  鴇田智哉
   鉄棒をくぐれば虫の夜となりし  村田 篠
   栗飯のときもごはんを少なめに  仁平 勝
   秋の来てバラの名前の美容室   加藤あい沙
   虫籠の傾いてゐる朝かな     茅根知子
   新聞を畳む音ある秋の夜     鳥居三朗
 

今年の「魚座」11月号から、引いた。(*4) すでに注目されている作者ばかりだが、共有されているのは、独特の滑らかさだ。(*5) そしてもうひとつ(句ごとに立ち上がってくるものとはいえ、やはりそれぞれよく似た)かすかな「不思議」を共有している。

これらの句が、ことさらに不思議なことを言おうとしているのでは、もちろんない。

言っているのは、当り前の、ただそれだけのことなのだが、「それ」が俳句に「なっている」不思議が、「それ」じたいの不思議さを形象化しているのだ。(*6)
「変哲もないこと」を句にすることは、やはり少し変なことなので、その「変」さが「変哲もないこと」に色移りしている、とも言えるだろう。

個々の作家に対する敬意をすこしも割り引かずに言うのだが、今井杏太郎のメソッドは、とても有効で強力だったのだと思う。(*7)



   波が来ていそぎんちやくのひらくなり  今井杏太郎


(この項おわり)


(*1)前記事で、作品の「ひねった」部分や定型との関係などが「谷」を形成する、と書いたのは間違いだった。たとえにこだわるなら、それらは糸に吹く「風」とでも言うべきか。それをたよりに言葉は「谷」を渡るのだが、吹きすぎてもうまくない。

(*2)結果、杏太郎の俳句は、口がきもちいい。かつて松本人志が、「みはいるしゅーまっはー」と言うとき口がきもちいい、と言ったのと、同じ意味で(違うかもしれない)。

(*3)このシリーズでは「内容」という言葉を、「記述」とその「作用」に先行するもの、くらいの意味で使っています。記述の「対象」と、内面的なもの、つまり「目的」とか「心」とか「美意識」をあわせて。なんか、作者が、ないふりをして、たっぷり持っていそうなものも、含まれている。

(*4)最新号や、句集の開けたページから引用するのは、例句探しの手を抜いているわけではなく、あるていどランダムに引いても、傾向が現れていると言いたい。

(*5)「て」や「ば」を忌避しない、句中の明確な切れをむしろ避ける、語彙の傾向として突出しがちな語を避ける、などが「魚座」の文体といえる。

(*6)ことばの「すがた」が、ことばの内容を形象化することを、以前のエントリでも書いた。(こちらこちら

(*7)ナックルボールで大リーグ通算318勝をあげたフィル・ニークロ投手は、弟もナックルボーラーで200勝投手。そもそも、二人とも、ナックルボーラーだったお父さんに、ナックルボールを教わった…ということを連想。
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