胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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ちょっと刺激的だった
短歌ヴァーサス10号 荻原裕幸「定型をめぐって」より

「短歌を書く、短歌として書く、という行為は、何らかの意味で日常的な日本語に反しているわけだ。(略)現代詩は、短歌の定型のように、他者によって定められたスタイルをもってはいない。(略)詩であるためには、日常的な日本語で自由に書きながらも日常的な日本語に何らかの意味で反してゆくような文体を構築する必要が生じる。(略)短歌は、書こうとする漠然としたモチーフや書きたいという衝動を、五七五七七という定型にぶつけてゆくことによって、詩が生じる道筋というものを、ある程度までは見せてくれる。たとえはよくないが、入会後半年は会費が無料、みたいな感じのところがあるのだ。」

歌人でありプロデューサーでもある氏は、マスメディア関係の人から、くりかえし「短歌はなぜ若い人を惹きつけるのか」という質問をされて、こういうことを考えるようになったのだそうだ。

「一般論だと言えそうなことを、多少アングルを調整して書いているだけのことだが」「仮定に仮定を重ねて考えてゆくと」と、慎重に言葉を選びながら、荻原さん結局「とりあえず低いと思われる方のハードルを多くの人が跳んだということなのだろうか」と、ぶっちゃけてしまっている。(「どちらの世界もハードルは低くないのだが」「どこかのポイントで梃子だったはずの定型が、枷や錘や錨のようなものに変貌するのだ」と、プロ側の人としての押えを効かせつつ)

それは、俳句にも、もろに当てはまるコトだと思う。ほんと、ちょっと詩的幸運と努力で、その日のご馳走ていどには、いいのが書けてしまうのが、たぶん俳句というもので(あ、短歌は幸運では書けないのかな、どうだろ)。

ただ、何かを定型にぶつけるだけでできちゃったものも、やっぱり「詩」ではあるんだろうと思います。日々、ほんとに、ごろごろ生産されるんで、稀少性も商品性もないんですけどね。簡単にできるから詩じゃないということはない。

そんな世界だから、定型詩の作者は、必ずしも(詩人みたいに)スタアであったり英雄であったりしなくても、全然かまわないのだと思います。スタアを夢見て入ってくる人は、またちょっと考え方違うんでしょうけど。

「君こそスタアだ!(今なら半年間会費無料)」

ぷぷぷっ。


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