胃のかたち
上田信治による俳句研究。
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俳句に似ているもの
教育テレビ「ピタゴラ装置」の、

よく見ると、同じ箱や台車を、使い回しているあたり。



新聞読んでいて
ーー嫌いなものはなんですか?
「ステレオタイプです。人生の経験から、紋切り型は常に間違っているということが証明されていますからね」
(朝日新聞07/3/3、土曜版be、ソニーのストリンガーCEOのインタビューより)

そうか常にまちがっているのか。


  淡雪の消えてしまえば東京都  加藤楸邨


(朝日新聞07/3/4「折々のうた」より)
この句は、知らなかった。いいですね。今井杏太郎の「東京を歩いてメリークリスマス」と並べて飾っておきたい。アンソロジーだけ読んでいては、だめだなあ、と思いました。


無季句
たまに、無季の句ができるとうれしい。
それは、テーマ詠の句会のための句を、まとめて捻っているときなどに、できやすい。


   一色づつ三色パンを食べるなり  信治
   白猫や雑誌を綴づる太き針    〃 


季語が一句の題だとすれば、題がすでに季語以外にある場合、季語は必要ない……はずである。

そのかわり、その句は、その句会の外に出すと、いかにも弱々しく見えるかもしれない。
題詠の句会では、おうおうにして、テーマをどうこなしたかということが、句の価値に含まれるから。

当然それと同じようなことが、ふつうの有季の俳句を、俳句の「作者=読者」の世界の外に出した場合にも、起るわけで。

自分が素十が好きなのは、この人が書くと季語があっても、無季句のようだからです。


   残雪に現はれし石雪をのせ     素十
   菜の花の咲くところまで来て話   〃


俳句に似ているもの
くるくるまわるビニール袋。

映画「アメリカン・ビューティー」の。


こちらもどうぞ)
切り貼り、続く
 表現は、しばしば、受け手による感情移入を力とする。
 俳句に感情移入があるとすれば、それは多くの場合「作者」の心と想定されるものに対してなされるが、それは、句の外にいる作者に対して、一句の正解を訊ねるような「弱い」感情移入である。

 いわゆる抒情的な句は、読者の「強い」感情移入を引き起こす。
 それは、一つにはリアルでベタな感情が句に伏流することによって、一つにはその感情が「美」に託されることによって可能になる。

 感情と「美」が結びつくと、なにか人を酔わせる成分が発生するらしい。
 というか「美」に酔って書く書きっぷりがまずあって、その書きっぷりが逆算的にリアルな感情を想定させる、といったほうが正確かもしれない。
 そして、感情を書くことは、句の「内部」に感情の主体としての「主人公」を書き込むことでもある。逆から言えば、その感情の主体として、一句の「主人公」が遡行的に想定される。〈春の鳶寄り別れては高みつつ 龍太〉も〈水ぐるまひかりやまずよ蕗の薹 夕爾〉も、そういうふうに書かれていると思う。そして、読者はその「主人公」に感情移入する。

(……)

 一方、氏の句に、ベタな感情やベタな美が書かれることは滅多にない。かわりに(というのもおかしいが)そこには、俳句の無名性に収まりきれない、「ヘンな人性」がある。

(……)

また、書いて使えなかったところを、カット&ペースト。
はっきり言って苦戦中ですが、もう、難所は越えましたよ。
ただいま切り貼り中
多くの表現は、受け手による感情移入を、力とする。
俳句に感情移入があるとすれば、それは多くの場合「作者」の心と想定されるものに対してなされる。たとえば〈赤い椿白い椿と落ちにけり〉とあれば、それを書いた前後に碧梧桐さんの心がどう動いたかを、想像し同調するように読む、ということが可能だが、それはしなくてもいいことだ。
(………)
「何を書くかではなくどう書くか」「俳句はあくまで言葉である」というテーゼは、もうすでに、ちょっと言われすぎた。「どう書くか」で勝負する俳句は、結局、分るもの同士の技の出し合いになり、そこからは、なかなか名句が生まれない。
(………)
読者はそれを見て「おもしろい人だなあ」と思う。
作品は、読まれるときと、書かれるときに、同じ楽しまれ方をするものだ。
ということは、作者は、書きながら「おもしろい人だなあ、自分は」と、思い直しているのだ、きっと!

今、書いている、短い文章で、書いてみて使わなそうな断片を、カット&ペースト。
俳句に似てるもの
俳句に似てるもの

なつかしのCM音楽集
全42曲の詳細はこちら(ウソ)。


「俳句」07/1月号を読む
○巻頭・特別作品32句「鳥影」正木ゆう子

  初春の九条をもて宝とす

前書きに「憲法」とある。「葱」だったらよかったのに。

○特別作品32句「七人」小澤實

  跨線橋ポスター攻めや虎落笛

「ポスター攻め」という言いつづめ方が独特。(去年は「ソーセージころがし焼き」などがあり)「ささと鳴る天蚕の繭振りみれば」「漆喰壁に枯蟷螂や首直角」のような下五のだめ押しなどもあり、ともかく一句の言葉量・熱量を増やしてゆこうという行き方。あまりに無理な言い方の切迫感に、おかしみがただよいますが、「澤」3月号の「しぐるるやかなしきものに跨線橋」みたいなのも好きです。なんか「跨線橋」が、股火鉢みたいだ。

○特別作品21句「寒立馬」小原啄葉

  吹雪く中人のかたちの雪歩む

有名な句に「海鼠切りもとの形に寄せてある」「土用芽や土葬の土の余りたる」とか、去年も「胸押してくる一枝より剪定す」とかあって、この作者、物からふっと生命を抜いちゃうみたいなことをするので、こわいです。ところで「海へ出る雲を遠見の寒立馬」って、去年の年鑑で見ましたけど。「行き違いになってしまった場合は御容赦ください」というやつでしょうか。

○一億人の季語入門(三) 長谷川櫂

季語と季題の違いを、定義されています。季語は「季節の言葉」であり、季題は「題になった季語」だそうです。長谷川さんは「や」の定義も、やってらっしゃいましたよね。

○「観察」竹中宏

  上下に抽斗左右に抽斗ナイアガラ
  草のインテリ草の王、草の黄

かっこいいですね。この作者、旧字を使われてるんですが(「草」でいえば、くさかんむりの真ん中が開いている)そのわりに「抽斗」や「百日紅」にルビを打たれていて、いったい、どういう読者を想定しているのか。

○「我思ふ、故に」仁平勝

  我思ふ故に湯ざめして我あり

「魚座」が終巻して、どうされるのかな、と思っていたのですが、なんか、元の仁平さんに戻っちゃってます。

○合評鼎談

1月号の、松本てふこさんの「読初の頁おほかた喘ぎ声」について(すごい句だ)。櫂未知子さんが「作者は職業柄、そういう本を読まざるを得ない」と発言されてます。僕はむしろ「家でも読んでるのか」と思いました。

けっこう、今月は、読みどころがありました。
俳句に似てるもの
俳句に似てるもの。

ボンナイフ。
剃刀状の、四角い刃が、プラスチックのさやに折りたたまれて入っている。
児童が鉛筆をけずったり、消しゴムで彫刻をしたりするものです。

Bon! enough なんちゃって。
編者がえらい
「ホトトギス雑詠句会評抄」という本を、へらへら笑いながら読んでいます。

   二つづゝふぐり下りのむかごかな 寸七翁

風生「むかごとふぐりがぴったりと会っていることが非常に面白いと思う。むかごがふぐりか、ふぐりがむかごか、と言い度い位に二つのものがぴったりと」

  ブラジルは世界の田舎むかご飯   念腹

素十「世界の『田舎』という言葉は勿論世界中で一番文化に遅れ遠ざかっておる所というのであるが」

  山高帽(ヤマタカ)に夕立急ロンドンはおもしろし  青邨

清三朗「中七の字余りのこなし方など憎い程うまい」

無茶な句が、無茶なほめられ方をしていて、おもしろいです。
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